「西武1位・多和田の地元はドラフト当日“住民総出”で大宴会」
(日刊ゲンダイ 11月18日(水)9時26分配信)
「昔は小学校、中学校、高校にそれぞれ子供がいて、全員が野球をしていましたからね。休日は試合が重なるから、グラウンドへの送り迎えは妻と手分けしてやっていた。大変だったけど、それがなくなると寂しいもんです。真三郎が富士大学に進学した後は、『休みの日は何をするか』なんて妻と話したもんです」
こう話すのは西武ドラフト1位・多和田真三郎(22)の父・真次さん(57)だ。
多和田は3兄弟の末っ子。長男の真一郎さん(28)は沖縄県内で就職、次男の真太郎さん(26)は地元中城村の役場に勤めており、いずれも結婚して家を出ている。
鉄骨工事業を営む真次さんが主に行っているのが、鉄骨のドブ漬け。溶かした亜鉛を鉄骨に塗り、サビを防止する作業のこと。
「400度の高熱で亜鉛を溶かすわけですからね。ただでさえ沖縄は暑いですから、夏は大変ですよ。工場勤務? まあ、立ち会いの業者のようなものです」
真次さんは沖縄を出て愛知県で働いている時に、福井県出身のもと子さん(56)と出会った。そこで結婚した後、生まれ故郷である中頭郡中城村に帰ってきた。3人の子供は自然豊かなこの村で生まれ育った。
多和田は子供の頃は「借りてきた猫のようにおとなしかった」(もと子さん)というが、学校などではヤンチャ坊主で知られていたようだ。
■村長が後援会長に立候補
多和田が育った中城村北浜は141世帯という小さな集落。それだけにドラフト当日は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。
もと子さんが言う。
「最初は自宅で親戚を呼んでお祝いをしようと思っていたんです。でも、上のお兄ちゃん2人も高校まで野球をやっていましたからね。兄弟3人分の同級生や友達、恩師の方々も3人分、やってきた(笑い)。そこで急きょ、歩いて2、3分のところにある公民館を借りてお祝いすることになりました。そうしたら隣近所の人たちもいらっしゃって、地元の議員さんたちまで見えられた。まさかまさか、です。沖縄ではお祝いの時には中身汁(豚のモツを使った、鰹節だしベースの吸い物)を振る舞うんですが、大鍋3杯あっても足りない。全員には行き渡らなかったと思いますよ」
「飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎです。それでも平日の夜だったので、みんな11時くらいには解散しましたよ。これが金曜や土曜の夜だったら何時まで騒いでいたか……」(真次さん)
地元紙によれば、この時集まったのは実に400人。世帯数を考えれば、集落の住民ほぼ全てが集まったと言っても過言ではあるまい。
この宴会に出席した中城村の浜田京介村長は、「町おこしにも期待したい」と意気込む。
「12月の5、6日に地元の産業祭があります。実は以前から真三郎くんには『ドラフトで指名されたら、必ずその時に戻ってきてくれ。サイン会や地元の子とキャッチボールをしよう』と伝えています(笑い)。なにせ、中城村出身としては初のプロ野球選手ですからね。産業祭で真三郎くんの後援会を発足させて、そこで『私が後援会の会長に立候補してもいいですか!』なんて言って……とまあ、私個人にはそんなもくろみもあります(笑い)。村ぐるみで彼を応援していきたいですし、地域の活動にもつなげられればと思っています」
富士大に進学する時は、「え、富士大って静岡県じゃないの!? 岩手県なの!?」と目を丸くしていた多和田も、今やドラフト1位の野球選手。
中城村といえば世界遺産の中城城跡が有名だが、将来はそこにもうひとつ、「多和田真三郎の生誕地」という新たな名物が加わるかもしれない。
▽たわた・しんさぶろう 1993年4月、沖縄県中頭郡中城村出身。津覇小野球クラブで野球を始め、中城中では軟式野球部に所属。中部商高2年の夏の県大会では準々決勝で糸満の宮国(巨人)と投げ合うも、九回途中3失点で負けた。富士大学では通算32勝8敗、防御率1・08。19完投、8完封。182センチ、82キロ。右投げ右打ち。最速152キロの直球に多彩な変化球が武器。
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沖縄県かぁ〜!
中城村かぁ〜!
村長さんが、多和田投手の後援会を作るって(=゚ω゚)ノ
(個人的なもくろみだそうですが(^^;;)
でもでもでも!
良いなぁ〜(=゚ω゚)ノ
良いなぁ〜(=゚ω゚)ノ
良いなぁ〜(=゚ω゚)ノ
陸続きだったら・・・
中城村に遊びに行くのになぁ〜(=゚ω゚)ノ
あはは!
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