「西武3位・源田壮亮 守備の基礎はソフトボールで培われた」
(日刊ゲンダイDIGITAL 11/18(金) )

 源田壮亮(23・トヨタ自動車)が生まれ育った大分市北明野。新日鉄住金大分製鉄所のお膝元として、発展したという歴史がある。

「大分製鉄所は新日鉄が最後に造った製鉄所です。建設は昭和46年。明野地区はそれ以前から住宅地として開発されていたようですが、社宅を中心に発展した経緯があるんです。私も新日鉄に勤務。堅い職業なんですよ(笑い)」

 こう話すのは父の光明さん(64)。大分製鉄所の安全環境防災部安全健康室に勤務している。

「今は嘱託ですが、昔から部署は同じでした。主な仕事は社内の安全教育ですね。災害や安全に関する法律などを教えたりしています」

 そんな“堅い”父の下に生まれた源田が最初に経験したのは、“ソフト”ボールだった。

「明野地区は野球よりソフトボールが盛んなんです。おそらく、大分製鉄所が発足した当初の社員に、好きな人が多かったんじゃないですかね。九州は福岡や鹿児島などソフトボールが人気ですが、大分は明野以外は少年野球が多いですから」

■肩、送球の早さ

 源田は小学校3年生の時、2歳上の兄と共に明野西小学校でソフトボールを始めた。6年になって遊撃を守り、卒業後は明野ビッグボーイズに入団。野球経験がないにもかかわらず、1年で遊撃のレギュラーを取ったのだから驚きだ。

「みなさん、そこを勘違いする人が多いんですよ。でも、ソフトボールには野球をする上で必要なものが詰まっているんです。まず、硬式球より重いソフトボールのボールを扱えば、肩が強くなる。例えば軟式出身の中学生だと、ベースの対角線上に送球が届かないことがある。肩だけに注目すれば、その差は歴然ですね。阪神の福留選手も、小学生の頃は地元鹿児島でソフトボールをやっていましたからね」

 光明さんは、さらにこう続ける。

「ゴロを打った時のバウンドも軟式は大きく跳ねるけど、ソフトボールは硬式に近い弾み方をします。ベース間が野球より短いので、内野も送球の素早さが求められる。捕球してすぐに投げる癖がつくのも、ソフトボールの特徴です。壮亮も高校や大学の指導者の方々から、『捕ってから投げるまでが早い』と評価されたと聞いています」

 スカウト陣からは「打撃は非力」と課題を挙げられながらも、内野守備はピカイチと評価の高い源田。ソフトボールで培った基礎力が、そのまま野球にも生きたということだろう。
「いや、私も『もしかしたら……』とは思っていましたけど、まさかプロ野球で、しかもドラフト3位とは……。まさか、まさかですよ」

■「元気だった!」

 そう言って照れる光明さんは、次男坊を「ヤンチャな子でした」と評する。しかし、そんな光明さんの背中に母の靖子さん(58)が「ヤンチャじゃない」とひと言。「え、じゃあ何だ?」と父が問いかけると、母は「元気だった!」と返した。ほほ笑ましくなる夫婦のやりとりの後、光明さんは「そうそう、元気な子だった(笑い)」と、こう続ける。

「一日中、外で遊んでいる子でしたね。周囲にゲームにハマるような友達もいなかったので、運よく元気に育ってくれました(笑い)」

 4LDKのマンション住まい。長男が就職して家を出たので、現在は夫婦2人で暮らしている。

「子供が2人いた時はそうでもなかったんですけど、今はすっかり広くなっちゃいましたね」

 と言う光明さん。西武で活躍し、両親の住む九州までその名をとどろかせたいところだ。

▽げんだ・そうすけ 1993年2月、大分県大分市生まれ。明野西小学校でソフトボールを始め、中学では明野ビッグボーイズに入団。大分商高、愛知学院大を経て、トヨタ自動車に入社。今夏の都市対抗では優勝に貢献し、優秀選手に選ばれた。179センチ、73キロ。右投げ左打ち。

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源田投手のお父上、光明さん!!!
源田投手のお母上、靖子さん!!!

新日鉄住金大分製鉄所のコトや!
明野西小学校でソフトボールを始めたコトや!
明野ビッグボーイズに入団したコトや!

源田投手のアラカルトが、盛りだくさん・・・

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