「西武・田辺監督、辞任報道が「最初で最後の一面」だった」
(サンケイスポーツ 9月28日)

 「俺の中で、監督というのはなかったな…」。西武・田辺徳雄監督(50)がポツリと漏らした。27日に辞意を表明したが、伊原春樹前監督(67)の休養がなければ、来年もコーチとしてユニホームを着ていたかもしれない。

 「田辺さんは伊原さんが休養させられて、もらい事故のような形で監督を押しつけられた。フロントに起用法で口をはさまれ、自分の意見も通らず。泥だけをかぶせられた。気の毒だった」と同情する声が多い。

 もちろん最終決定権は監督にあるが、投手起用は投手コーチに任せ、打順や作戦面は橋上作戦コーチが担当。8月に入り「チマチマ1点取っても投手が持ちこたえられない」とバントや小技などの作戦を度外視し、打ちまくる方針に転換すると、勝ち始めるという、皮肉な結果になった。

 「もったいないよな。次の監督が誰になるか知らないけど。投手さえ整備すれば絶対勝てるのに」。

 補強ポイントが投手であることは明確だったが、戦力の上積みはほとんどなし。ドラフトで8人の投手を獲得も、勝ち星を挙げたのは1位の多和田(7勝5敗)だけ。「中継ぎで一人でも、二人でもモノになれば」という首脳陣の期待は、もろくも崩れ去った。

 さらに外国人投手は“助っ人”どころか足を引っ張りまくった。最後にウルフが4勝したが、他の3投手は0勝13敗。せめて外国人投手の成績が5割だったら、最後までCS出場を争っていたはずだ。

 そして選手も、自由にやらせてくれた田辺監督に、結果で返すことができなかった。恐らく来年になれば、この2年半で自分たちがやってきたことの重大さを、思い知らされるだろう。

 「一番楽しかったのは2軍打撃コーチ。だって好きなようにできるんだから」。

 田辺監督は現役引退後、1年間解説者になり、2002年から西武の2軍コーチに。高卒で入団した中村、栗山、中島(現オリックス)らを指導した。22日のオリックス最終戦で中島が西武戦初アーチを放つと「ナカジが俺への惜別で打ってくれたよ」と目を細めた。

 栗山が通算1500安打となる左前打で決めた際に「あそこへの打球は田辺さんと死ぬほど練習してきた」とコメントすると「俺も死ぬ思いで練習に付き合ったよ」と、しみじみ話した。

 身を削って練習に付き合い、1軍に送り込んだという自負がある。ところが今の2軍には、下位指名の選手が育つような土壌がないという。そもそもこの2年半で2軍の首脳陣が田辺監督に「◯◯がいま調子いいですよ」と推薦したり、現状を報告に来たことは一度もなかったそうだ。

 それでも監督代行だった14年も含め、3年間クライマックスシリーズに出場できず。責任を感じていることは聞いていた。

 8月31日。森がサヨナラ打を打った試合後。夜11時すぎに球場を出る田辺監督に「あした、来年の話を書きます」とだけ告げた。

 もちろん「まだ残りは22試合もあるからやめてくれ」、「サヨナラ勝ちした日に書くことはないだろ」と止められることは覚悟した。

 しかし田辺監督は「こんなんじゃ景気のいい話もないもんな。まぁ期待してるよ」と私の左肩をポンとたたいた。

 そして翌9月1日。サンスポの一面に「田辺監督辞任へ」の見出しが躍った。

 田辺監督の朝は早い。西武プリンスドームには8時前にやってきて、多摩湖周辺をジョギングする。

 筋を通しても「なんだ、あの記事は!!」となることはよくある。8時に駐車場で、ランニングに向かう田辺監督を、不安を抱えながら待った。

 すると「『なんだよあれ!? 森サヨナラ、田辺もサヨナラ』って、それぐらいやれよ!!」と笑顔が返ってきた。私は田辺監督に期待に応えることができなかった。そして「最初で最後の一面だよ。田舎(山梨・富士吉田市)のおふくろも驚いてるだろ」と遠い目をした。

 田辺監督は1997年、ヤクルトとの日本シリーズ第2戦でサヨナラ打を打っている。「そんなバカな」と思い、家にある昔の新聞を引っ張り出すと、サンスポの一面は「サヨナラ西武劇」が見出し。左上に小さく「男だ、田辺」と載っていた。

 別のスポーツ紙に至っては、一面は「東尾勝った」で、田辺さんの記事は二面に小さくあった程度。本当に初の一面だったようだ。

 先日、伊原前監督に会うと「おやじ(田辺監督の愛称)には気の毒なことをした。終わったら、おやじと一杯飲みたいな。塚ちゃんも来るか?」とねぎらっていた。二人は伊原さんの休養後、一度も会っていないと聞く。

 その話を田辺監督に報告すると「じゃあ伊原さんの家に車で行って、今度は俺が『伊原さん、代行お願いします』【注1】って頼むよ」となぜかファイティングポーズを作った。

 私は世間では地味だと思われている田辺監督が、本当は面白い人だということを読者の人に知ってもらいたくて、このコラムを書いてきた。田辺監督の頭の回転の早さとキレ味は、誰が次の監督になってもかなわないと思う。

 監督としては思うように力を発揮できなかったが、またユニホームを着る機会が来ることを願っている。

 28日の今季最終戦を観戦する西武ファンのみなさんにお願いがあります。ブーイングするなら、来年もいる他の人に飛ばして、監督としての2年半だけではなく、長年チームを支えた田辺さんは、あたたかい拍手で送り出してあげてください。(塚沢健太郎)

【注1】代行とは飲酒し車の運転ができなくなった際に、車と運転手を送るシステム。

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塚沢記者さん!
深い、良〜い話、ありがとうございます*\(^o^)/*

これからも、ライオンズの深い良い話!
宜しくお願いしますm(_ _)m

それから、田邊監督さんの!
その後の話も、宜しくお願いしますm(_ _)m

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 田辺監督は1997年、ヤクルトとの日本シリーズ第2戦でサヨナラ打を打っている。「そんなバカな」と思い、家にある昔の新聞を引っ張り出すと、サンスポの一面は「サヨナラ西武劇」が見出し。左上に小さく「男だ、田辺」と載っていた。

家にある昔の新聞を引っ張り出すと・・・

これって、塚沢記者さんの家!
宝の山じゃあないですか\(^o^)/

お邪魔したいですネo(^▽^)o

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