「【西武・西口文也の決断2】偉業未遂3度「欲出せば良かった」」
(スポニチアネックス 12月9日(水))

 アイオワ州スーシティ。米中西部の小さな町が西口のプロ人生の原点ともいえる。西武入団1年目の95年。野茂英雄(ドジャース)の活躍で全米が沸いていた時、米独立リーグに野球留学した。

 「1番から9番打者までパワーがあって、思い切り振ってくる。そういう打者と対戦して、ある程度抑えられた。無我夢中だったけど、それが自信につながったし、いい刺激を受けた」

 5月中旬に渡米。チームメートの山田潤、地元選手2人の計4人でルームシェアして生活した。長距離のバス移動、慣れない英会話や食事…。数試合ミスが続いた選手は容赦なく解雇された。「本当に厳しい世界だなと実感した」という。当初は4カ月ほどの予定が、好成績を残したことで約2カ月で日本に呼び戻された。8月に1軍デビュー。9月10日のロッテ戦(千葉マリン)でプロ初勝利を挙げた。

 そこから積み上げた白星は182。引退セレモニーで自ら「ノーヒットノーラン未遂2回。完全試合未遂1回…」と振り返った、大偉業を逃した3試合でも球史にその名を刻んだ。最も印象に残るのは05年8月27日の楽天戦(インボイス)。9回まで完全投球も味方の援護がなく、延長10回に沖原に初安打を許した。しかし記憶に残る理由は「完全」だったからではない。「0―0で延長10回に打たれてピンチをつくった。でも、そこを抑えてサヨナラ勝ち。チームが勝ったのが大きい」。自身を「欲がない。マイペース」と評する。記録よりチームの勝利。いかにも西口らしい。

 「あまり感情とか表に出さなかったしね。もうちょっと欲を出せば良かったかな。そういうところが自分の甘さかも…」。そう言ってほほ笑む右腕の入団時は体重68キロ。その後も73~74キロと細身の体でプロの厳しい世界で21年間戦い抜いた。

 来年からは球団編成部に籍を置く。「スキルアップのために海外で(指導法などを)勉強させてもらう機会もある。勉強して吸収して、ライオンズの役に立ちたい」。20年前。原点となった95年と同様、台湾やオーストラリアなど海外にも足を延ばして経験を積む。「ユニホームを着て、またやってみたいという思いはある」。そう遠くない将来、西口は指導者として再びグラウンドに帰ってくる。

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アイオワ州スーシティ。
米中西部の小さな町が西口のプロ人生の原点ともいえる。

米中西部!
米中「西武」?(笑)(笑)(笑)

さすが、西口さんのプロ人生の原点!

もう〜、こんな突っ込みで「萌えちゃう」!
ライオンズライフなのでした〜\(^o^)/

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